UN TICKET POUR SHITAMACHI di KAJINO Tadayoshi
Segnaliamo con piacere il libro Un ticket pour Shitamachi di Kajino Tadayoshi, al momento disponibile in francese, e presentato alla scorsa edizione del Bologna Children’s Book Fair.
Nell'articolo seguente (all'incirca a metà pagina) troverete una breve recensione a riguardo: https://losaicheipapaveri.wordpress.com/.
"Festival della Prefettura di Saga a Milano Expo 2015" di Junko Kataoka
Gentili amici giapponesi vi presentiamo un interessante resoconto del Festival della Prefettura di Saga scritto dalla nostra bravissima Junko Kataoka. Buona lettura!
佐賀県フェスティバル in ミラノ・エキスポ
~有田焼創業400年事業「エピソード2」~
「皆さ~ん、有田焼って知っていますか~?」
「Non tanto!! 聞いたことあるけど、あんまり知りませ~ん!」
2015年5月31日から6月2日にかけての三日間、ミラノ万博の日本館イベント会場において佐賀県フェスティバル「ARITA PORCELAIN PARK in MILANO BY SAGA PREFECTURE」が行われた。その開催式における冒頭シーンである。
司会者がイタリア語で観客に向かって言う。
「では本日は皆さんに、有田焼をよ~く知って帰っていただきましょう!」
有田焼は、言わずと知れた、佐賀県が誇る日本の代表的な磁器である。1616年、九州の北西部に位置する肥前国(現在の佐賀県)の有田において、磁器の原料である陶石が発見された。「泉山」というその山は、その名が示すとおり人々に至福をもたらす泉となった。今ではひと山のほとんどが掘り尽くされたと言われる泉山陶石場の姿は奇観である。「イタリアと日本には同じようなストーリーがここかしこにある」と日頃から感じている私だが、やはり今回も、トスカーナ州カッラーラの かの有名な奇妙な形の山に思いを馳せた。古代ローマ時代より白大理石の産地として知られ、ミケランジェロの作品などに石材を提供して来た山である。
来年の2016年は、有田で宝の山が発見され日本初の磁器が生産されるようになって400年目となる。ちなみにこの1616年というのは、ドイツのマイセンが創業するなんと100年も前のことだ。そして、江戸時代後期に日本各地で磁器製品が作られるようになるまでは、有田は日本で唯一の磁器生産地であった。有田焼が17~18世紀にヨーロッパの王侯貴族にこよなく愛されたことは、日本文化を愛するヨーロッパ人にはよく知られている。鎖国(1639~1854年)の間にも通商関係にあったオランダの東インド会社の手によって有田焼は海をわたり、遠く地球の裏側に徐々に広まって行った(海を渡った有田焼は実に何百万個にもなるという)。
今回の佐賀県フェスティバルの会場で私は、「有田焼創業400年事業推進グループ」関係者、「有田窯業大学校」関係者など多くの方々から、大変貴重で興味深い話を聞かせていただくことができた。有田焼がヨーロッパで権勢を誇っていた当時、ヨーロッパ人から直々にデザインの注文も受けていた。イニシャルを入れてほしいと言われれば、当時の絵付け職人はもちろんアルファベットなど知らないから、単なるデザインだと思って描いていたと想像される。注文されたものを納品して長い時が経ち、いつの日か、ベースの有田焼に細工が施されてシャンデリアなどになって日本に戻ってきたものもあるという。実に感慨深い。言葉も文化も、何もかもにおいて気の遠くなるような距離の中で、当時の異国の職人達は一つのものを仕上げるために知らぬ間に協力し合っていたわけだ。遠く離れていても細部にわたって瞬時に打ち合わせができる現在の世の中でなら、仕上げの瞬間さえも共有できるであろう。それに比して、かつての時はなんとゆったり流れていたことか。それからわずかに400年しか経っていないのに、人間の時間の観念を説明するにふさわしい言葉は「悠久」から、「刻一刻」に変化した。
そして、「刻一刻」の時代だからこそできることがある。有田焼は、創業400年記念事業として、これまでの400年間に培ってきた確固とした「エピソード1」の上に、「エピソード2」の新時代を今、築き始める。日本だけでなく世界中の新進デザイナーのデザイン、若い世代のポップな感覚を取り入れ、斬新でグローバルな目をもって有田焼を世界に発信していこうというものだ。
有田焼が初めて万国博覧会にお目見えしたのは1867年のパリ博に於いてであった。また、1900年開催の同じくパリ万博でメダーユ・ドール(最高名誉賞)を受賞したことは、知る人ぞ知るエピソードだ。17~18世紀に最高の品質の磁器をヨーロッパに普及させ、有田焼は栄華を極めたが、欧州における磁器生産技術の確立や幕府の輸出品制限などにより、最終的に1757年を最後に輸出は終了した。それ以降、日本国内向けの生産は続けられるものの量産品が多くなっていく。有田焼が再びヨーロッパで脚光を浴びるようになるまでには、ちょうど100年待たなければならなかった。
だが1867年、パリ万博に登場した有田焼はたちまち大変な注目を浴び、これを皮切りに貿易が再開される。1867年といえば明治政府樹立の前年であり、廃藩置県の4年も前のことだ。有田焼は佐賀藩から出展され(幕府の要請で佐賀藩は薩摩藩とともにパリ博に参加)、ヨーロッパにジャポニズム旋風が起こるきっかけを作った。
このように有田焼にとって万博は縁起が良い催しものである。1867年のパリ博では起死回生のきっかけを獲得、1900年開催のパリ博ではメダーユ・ドールを獲得、今回のミラノ博では、新しい有田焼「エピソード2」の世界への発信のきっかけを獲得したい。
2015年5月31日午後3時、いよいよ佐賀県フェスティバルの開始である。まずは、和太鼓グループ「不知火太鼓」による、6人からなる和太鼓アンサンブル。猛烈なテクニックでお客さんをぐいぐいと引き込む。セレモニーのトップを飾るにふさわしい、なんとも豪快なパフォーマンスで、アピール性抜群だ。観客の興味を、これから行われるセレモニーの舞台に引っ張り上げた。太鼓の大迫力の音が「来てほしい所に、思ったように来てくれる」とでも表現すればいいのか…。ちょっと調べてみると、やはり和太鼓には「その振動が人間の心臓の鼓動にシンクロすることによって人の気持ちを鼓舞する性質がある」らしいのだ。もちろんそれには大変なテクニックを要するはず。「不知火太鼓」は1978年に佐賀県の嬉野市塩田町にて結成され、ジュニアチームと大人チームからなる。大人チームは今回の万博出演のように幅広く活躍しており、ジュニアチームは 「日本太鼓ジュニアコンクール佐賀大会」で4年連続優勝、全国大会でも特別賞受賞。この筋金入りの強者どもは、ほんの小さな子供の頃から、この日本の伝統芸能の稽古に励んできているのだという。
そしてお次は、佐賀県知事による挨拶だ。実は、このセレモニーが始まる前に、挨拶文を読む練習をしておられる姿をお見かけし、なんと親しみのもてる知事さんだろうと思っていた。いよいよ本番、壇上に上がった知事は、やはりとんでもなくシンパーティコな(感じがいい、愉快な)方であった(ちなみに、この「シンパーティコ」という形容詞はイタリアでは最大の褒め言葉である)。「このたび佐賀県がミラノエキスポに参加できたことを誇りに思います。そして、かつてヨーロッパで栄華を極めた有田焼を、こうして現代のイタリアの皆さんにご紹介できることは大変に嬉しい」といった内容をイタリア語で話されたのである。最前列のイタリア人に発音を直してもらったりと、楽しい掛け合いがあり、観客との呼吸がぴったりの素敵なスピーチであった。短い時間でイタリア人のハートをしっかり、すっかりつかんでしまわれた様子に、私は舌を巻いた。イタリア人というのは、エスプリが効いた会話を評価する国民だ。関西人に似て、パフォーマンス性のあるコミュニケーション力を求めるところがあるのだ。たとえば、前々教皇の故ヨハネ・パウロ二世はポーランド人であったが、1978年10月16日に教皇に就任した日の演説で、「私のイタリア語がまちがっていたら、皆さん直して下さい」と民衆に向かって言い、大変な拍手喝采を浴びた。イタリア人に一番初めの日に受け入れられてから、ずっと愛され親しまれた教皇であった。佐賀県知事もこの日、イタリア人に大歓声をもって受け入れられた。
和太鼓による観客の心臓とのシンクロ、そして会場と一体になったスピーチで観客のハートをつかんだところで、いよいよおまちかねの鏡開き。清酒の大樽が舞台の上に置かれた。壇上に、先ほどの佐賀県知事、そして佐賀県議会議長、在ミラノ日本国総領事などの面々が上り、合計六人での鏡開きと相成った。司会者が会場全体に呼びかける。イベント会場の横のレストランで食事をしている皆さんにもイタリア語で呼びかける。
「さあ、みなさん。一緒に“よいしょ”と三回言って下さいね。ではいきますよ~。よいしょ、よいしょ、よいしょ~!」
この3回目の「よいしょ」で、六人の持つ木槌が一斉に振り下ろされ、大樽の鏡はみごとに割られた。酒は観客にふるまわれ、人々は、有田焼の上品でセンスの良い器に入った芳醇な銘酒を堪能した。雄大な自然を控えた佐賀の土地で生産される酒は、自然の豊かな風味を持っている。
楽しいオープニングセレモニーの最後に、もうひとつサプライズが用意されていた。佐賀県知事が観客席の一番前に座っていた二人のイタリア人を舞台に招き上げ、壇上に設置された「ガチャガチャ」の機械の前に誘導した。実はこれは今回のイベントのための特別企画であるらしい。とはいえ「ガチャガチャ」とはカプセルトイのこと、この場でカプセルトイとはいったい何事であろうか…。不審顔の二人は「ガチャガチャ」用のコインを手渡され、言われるままにレバーをひねる。すると…。出て来た丸いカプセルの中には、かわいらしい有田焼のミニチュア作品が入っていたのである!
今回、来る2016年の創業400周年を記念して2016個の「小さな有田焼」が用意された。中には学生が制作した様々な磁器アイテムが入っている。有田焼生産の職人のフィギュアをはじめ、ミニお雛様、キーホルダーやマグネット、箸置きや盃にミルクピッチャーなどなど。佐賀県立有田窯業大学校の学生の発案による企画だということだ。有田焼は江戸時代に分業制が確立していた。有田焼制作の各作業における職人の姿をフィギュアにして「有田焼の400年の歴史」を世界の人々に知ってもらおうというのが、この企画のメインコンセプトである。そして又、磁器によって制作されるアイテムの多様性と、それぞれの楽しみ方をも知ってもらいたい! このように、若い柔軟な頭から生まれ出てくるアイデアが、新時代「エピソード2」を推進していくのである。この日、会場の子供も大人も大喜びであった。
今回のミラノ万博も、かつてのパリ万博のように有田焼の新たな旅立ちを後押しすることができるのではないだろうか。有田焼が培って来た400年の「エピソード1」を土台にして、これから新しい時代が始まる。イタリアでも今、伝統文化が危機に瀕していることを、国民は知っている。この「エピソード2」の企画に、会場の観客は大いに共感したのではないだろうか、と思った。
日本人は、人の手のぬくもりの大切さ、つまり真心を知っている。日本人は真心を込めて仕事をする。日本をよく知るイタリア人は、そんな日本人を尊敬して止まないのである。
ミラノ在住文筆家/比較文化研究者
片岡 潤子
"Hojojitsu, l'Arte Guerriera della Corda"
Christian Russo dell'Associazione Yoshin Ryu presenta "Hojojitsu, l'Arte Guerriera della Corda" .
L'evento di presentazione si terrà in data 5 luglio alle ore 19:00 presso Lungo Dora Colletta 51 a Torino.
Nel Giappone feudale, lo Hojōjutsu era la disciplina marziale che insegnava a catturare e immobilizzare un prigioniero per mezzo di una corda.
Sviluppato in ambito militare a partire dal periodo degli “Stati combattenti” (XV sec.), fu successivamente adottato dalla polizia urbana del Periodo Edo (1603-1868) in ausilio all’arresto, al trasporto e alla detenzione di un sospettato.
Corredato da molte illustrazioni e fotografie, questo testo ne illustra, per la prima volta in Occidente, la storia, la filosofia, gli strumenti e la pratica.
L’autore illustrerà i contenuti del libro e, nella splendida cornice del Torino Matsuri, sarà possibile assistere a delle dimostrazioni di esecuzione di questa singolare Arte Marziale.
"SAKURA- KOMACHI" IN TOURNEE IN ITALIA
In data 12 giugno p.v., ore 21.00 presso il teatro Verdi a Fiorenzuola d’Arda (Piacenza)
'SAKURA -KOMACHI’ Classical Japanese Music and Dance group,
un gruppo musicale tutto al femminile, si esibirà in un concerto di musica tradizionale giapponese. Il concerto è anche un'occasione per fare la conoscenza, o per entrare una volta di più in contatto, con gli strumenti tradizionali giapponesi quali il Koto, Shakuhachi, Satsuma-Biwa, Wadaiko e con i suoi protagonisti: Maki Isogai, Azumi Yamano, Rin Nakashima (Strumenti a corde), Akiko Sakurai (Liuto)Shozan Sakurai (Flauto dritto di bamboo), Fumiko Arai (Percussioni), Mikayasu Wakayagi (Danza) .Direttore Artistico dell'evento Hideo Shimoda, DirettoreShingo Shoji, Coordinatore Michiko Taguchi. Presenta la serata Yoko Domitsu. Il programma prevede l’esecuzione dei pezzi strumentali Rokudan no shirabe , Haru no Umi, Yume no Wa, e la celebre canzone Sakura Sakura.
E’ previsto un ingresso di 10 euro.
L’evento , organizzato in collaborazione con La Japan Performing Arts Association, tocca altre città italiane come Roma (dove si è tenuto lo scorso 7 giugno) Firenze, Ravenna e Jesi.
IN COLLABORAZIONE CON
La Japan Performing Arts Association
12 GIUGNO 2015 TEATRO VERDI ore 21.00
Ensemble strumentale
'SAKURA -KOMACHI’
Classical Japanese Music and Dance group
Musica Tradizionale Giapponese
Italian Tour 7-16 giugno 2015
(Roma, Firenze, Fiorenzuola d’Arda, Ravenna, Jesi)
Gruppo femminile con strumenti tradizionali del Giappone
(Koto, Shakuhachi, Satsima-Biwa, Wadaiko, Danza)
Maki Isogai, Azumi Yamano, Rin Nakashima (Strumenti a corde), Akiko Sakurai (Liuto)
Shozan Sakurai (Flauto dritto di bamboo), Fumiko Arai (Percussioni),
Mikayasu Wakayagi (Danza)
Art Director Hideo Shimoda
Director Shingo Shoji
Coordinator Michiko Taguchi
Presenter Yoko Domitsu
Con il sostegno di: KUIPO co.ltd, Planning Office for Arts Council Tokyo, Tokyo Metropolitan Foundation
for History and Culture
Info vendita biglietti presso:
Inform’Arti – Ufficio del Teatro tel: 0523/985253 – Via Liberazione dal martedì al sabato
ore 10.00 – 12.30 e nei giorni di spettacolo anche dalle 19.30 teatroverdi@comune.fiorenzuola.pc.it; cultura@comune.fiorenzuola.pc.it
Figura seduta del Buddha Amida
Figura seduta del Buddha Amida
Periodo Muromachi (1392-1568), XV secolo
Legno laccato e finiture dorate; occhi intarsiati in cristallo.
Altezza 44 cm
Il Buddha Amitabha (Amida Nyorai in giapponese) è qui rappresentato seduto a gambe incrociate nella posa dhyanasana, con le mani che formano il mudra Amida Raigo-in.
Il viso ha un'espressione serena, con gli occhi bassi sotto le sopracciglia arcuate e un sorriso soddisfatto appena accennato. I capelli sono disposti in file formate da piccoli chignon che coprono anche lo ushnisha, la protuberanza sulla testa. Il drappeggio della veste del Buddha è composto da eleganti pieghe che ricadono dalle spalle al grembo fino ad adagiarsi sulle gambe.
I seguaci del Budda Amida rimasero un gruppo esiguo fino al periodo Kamakura (1185-1333), durante il quale la divinità divenne popolare grazie alla nuove sette della Terra Pura votate a portare il buddismo alla popolazione umile e analfabeta. La salvezza della gente comune era uno degli scopi fondamentali di queste sette, privilegiando una fede pura e semplice a complicate e artificiose dottrine.
Si crede che Amida Nyorai presieda il Gran Paradiso Occidentale e si dice che quando un devoto muore egli stesso discenda per riportare il fedele nella Terra Pura.
Le mani di questa scultura sono atteggiate nel gesto (mudra) tipico di Amida che accoglie gli spiriti dei fedeli defunti.
Per magiori informazioni: Giuseppe Piva Arte Giapponese
MILANO MANGA FESTIVAL 2015
Anche quest'anno l'Associazione Culturale Giappone in Italia è tra gli organizzatori del Milano Manga Festival, che si terrà dal 10 al 14 giugno alla Fabbrica del Vapore (via Procaccini 4, Milano). Per l'occasione daremo la possibilità ai nostri soci di acquistare il biglietto con uno sconto di 1 € mostrando alla cassa la propria tessera associativa. Per i nuovi iscritti, è possibile associarsi seguendo le istruzioni alla pagina Sostegno. Vi preghiamo di inviarci una preventiva comunicazione in caso desideriate ritirare la tessera all'ingresso del Festival.
Saremo inoltre presenti con un banchetto informativo nelle giornate di giovedì 11 e venerdì 12 dalle 15.30 alle 18.30, sabato 13 e domenica 14 dalle 14.30 alle 17.30.
Qui di seguito pubblichiamo il comunicato stampa ufficiale dell'evento:
MILANO MANGA FESTIVAL
Milano, FABBRICA DEL VAPORE
10 – 14 Giugno 2015
MANGA & CIBO, MUSICA e ARTI TRADIZIONALI
Il Milano Manga Festival 2015 giunge alla sua terza edizione e presenta, insieme al tema del “cibo” e della “cultura tradizionale”, il fascino poliedrico del MANGA, rappresentante indiscusso della cultura pop giapponese.
Il Comune di Milano e Asatsu-DK sono lieti di annunciare la terza edizione del MILANO MANGA FESTIVAL che, per il secondo anno consecutivo, si svolgerà nell’affascinante cornice della Fabbrica del Vapore, lo spazio polifunzionale per grandi e spettacolari eventi culturali della Città di Milano. Come già avvenuto per la precedente edizione, continua la collaborazione con Milano Matsuri, la grande festa di sapori e tradizioni giapponesi che durante i giorni del festival si svolgerà nel piazzale esterno della Fabbrica del Vapore.
Il programma si presenta ricco di eventi live e di attività culturali che daranno l’opportunità di scegliere in ogni momento l’attività preferita da seguire.
IN CATTEDRALE
La Cattedrale, la grande sala coperta della Fabbrica del Vapore, sarà la sede della parte più pop della manifestazione. Una mostra di MANGA inediti in Italia, arrivati direttamente dal Giappone, introdurrà il visitatore alle tematiche del festival: cibo, cultura tradizionale e J-POP. Verrà poi allestista un’ “aula di disegno MANGA” nella qualei gli ospiti potranno partecipare tutti i giorni alle lezioni di disegno tenute dalla famosa mangaka-gyaru giapponese Britney Hamada. Parallelamente vi sarà la possibilità di partecipare ai workshop riguardanti l’antica tecnica della creazione delle bacchette per il cibo, la calligrafia, gli origami, la vestizione del kimono e molto altro ancora.Il grande palco centrale, oltre ad ospitare i grandi EVENTI LIVE come concerti e incontri di approfondimento che animeranno tutti le giornate della manifestazione, sarà anche la sede della rassegna ANIME di MMF 2015che quest’anno vede la collaborazione con Animemirai, alias di “Young Animator Training Project”. Questo progetto per giovani animatori del governo giapponese presenterà al Milano Manga Festival una selezione di opere in anteprima. Saranno inoltre presenti shops, stand e tante altre novità tutte da scoprire.
MILANO MATSURI & Food Court
Nel grande piazzale della Fabbrica del Vapore, il Milano Manga Festival ospiterà la terza edizione del MILANO MATSURI, la tipica sagra popolare organizzata dall’Associazione Italiana Ristoratori Giapponesi (AIRG). Ci saranno bancarelle in cui scoprire specialità dello street food nipponico e si potrà curiosare tra libri, oggettistica ed ingredienti tipici della cucina giapponese. Anche quest’area sarà provvista di un palco che ospiterà showcooking, workshop a tema gastronomico, spettacoli di cultura tradizionale e molto altro ancora. Per legare il tema manga/anime alla cultura tradizionale giapponese il MILANO MATSURI organizzerà quest’anno anche un COSPLAY CONTEST: sabato 13 giugno gli appassionati saranno invitati ad abbigliarsi ispirandosi a fumetti, cartoni animati e film che abbiano come tema il Giappone Tradizionale. Una giuria tecnica, che terrà conto anche del giudizio del pubblico, decreterà il vincitore che si aggiudicherà un biglietto viaggio a/r per il Giappone!
Il progetto MMF, realizzato con il patrocinio del Consolato Generale del Giappone in Italia, è ideato e realizzato da Asatsu-DK in collaborazione con il Comune di Milano e l’Associazione Culturale Giappone in Italia.
INGRESSO
A pagamento. Per info sui prezzi: http://www.milanomangafestival.it/ticket.html.
ORARI
Mercoledì 10 giugno 2015, ore 16:00 – 22:00 Da Giovedì 11 giugno a domenica 14 giugno: 2015, ore 11:00 -22:00
Per ulteriori informazioni: http://www.milanomangafestival.it/.
Intervista a Kunihiro Hagimoto. Di Edoardo Miotti
In occasione dell’uscita della collana monografica “Le ricette di Eataly”, nata dalla collaborazione tra il Corriere della Sera e La Gazzetta dello Sport con Eataly, incontriamo uno degli chef coinvolti nel progetto: Kunihiro Hagimoto (Osaka, 1983), chef del ristorante del pesce di Eataly Milano Smeraldo, che per ognuno dei volumi ha ideato una speciale ricetta, una personale interpretazione fusion delle cucine italiana e giapponese. Ogni volume tematico presenta una selezione di ricette gourmet create dai diversi chef della catena, caratterizzate da una particolare attenzione alla stagionalità, alla conoscenza delle diverse varietà dei prodotti, ai loro luoghi di provenienza. Per ognuna, oltre agli ingredienti e alla spiegazione di tutti i passaggi, ci sono consigli, commenti e varianti per la preparazione.
Raccontaci della tua formazione e di come ti sei avvicinato, e appassionato, alla cucina... Ho iniziato ad appassionarmi alla cucina quando avevo circa 13-14 anni. Cucinavo a casa piatti della tradizione giapponese o cinese. Non ero tanto bravo e mi piaceva soltanto far saltare i cibi in padella, come il riso alla cantonese. Poi dopo un po’ ho notato che mi piaceva anche preparare da mangiare per gli altri e mi faceva piacere ricevere complimenti per come cucinavo! Così mi è venuta voglia di imparare meglio, diventare cuoco e farne una professione. Così sono andato alla scuola alberghiera di Osaka, per due anni. Dopodiché mi sono trasferito a Tokyo e ho fatto esperienza in diversi ristoranti rinomati. Il primo anno ho fatto il cameriere e il secondo anno ho iniziato a fare l’assistente cuoco. Preparavo il pane, i dolci, gli antipasti…
Come hai scoperto la cucina italiana? Ho iniziato a lavorare fin da subito in ristoranti italiani a Tokyo. Ho scelto la cucina italiana perché quando andavo alla scuola alberghiera ci insegnavano tutte le cucine del mondo, francese, spagnola, giapponese, cinese, italiana. Quella che preferivo era la cucina italiana. Per essere più preciso, mentre frequentavo la scuola, c’era un programma televisivo che si chiamava “Ryōri no Tetsujin” (in inglese “Iron Chef”) in cui si sfidano due chef che hanno un’ora di tempo per creare una ricetta e cucinare con degli ingredienti che scopriranno solo in quel momento. Guardavo sempre questo programma e mi ha colpito uno chef che cucinava piatti italiani. Così quando sono andato a Tokyo ho scelto subito di lavorare in un ristorante italiano. E dopo, sempre a Tokyo, sono andato a lavorare proprio nel ristorante dello chef che vedevo in TV, che a quei tempi era il ristorante più rinomato del Giappone. Inoltre questa è stata anche la mia prima esperienza di vera alta cucina.
E quando sei arrivato in Italia? Ho cominciato a lavorare a vent’anni e ho sempre lavorato in ristoranti di cucina italiana in Giappone. Un giorno arriva una cliente che mi consiglia un ristorante di Kobe dove andare a mangiare vera cucina italiana tradizionale. Sono quindi andato in quel ristorante dove erano tutti italiani, sia il proprietario che i cuochi. Ho mangiato benissimo e ho scoperto che quella che facevo io era un tipo di cucina italiana ma un po’ rivisitata. Quella era quindi la prima volta che ho davvero mangiato cucina italiana tradizionale. Mi è piaciuta! E mi sono divertito tantissimo anche a passare il tempo insieme ai gestori. In seguito ho lavorato da loro e poi mi è venuta voglia di andare in Italia per approfondire la mia conoscenza della cucina italiana. Quindi ho iniziato a studiare italiano mentre lavoravo e dopo due anni, nel 2009, ho preso il biglietto e sono venuto in Italia. La prima città in cui sono stato è Bologna. Qui sono stato molto fortunato perché ho iniziato a lavorare subito in una trattoria consigliatami da un amico che lavorava con me in Giappone. A me sarebbe andato bene un qualsiasi ristorante, bastava che fosse in Italia, invece mi sono ritrovato Da Amerigo, molto importante sia a livello nazionale che internazionale con tre gamberi del Gambero Rosso e una Stella Michelin. Ho fatto un anno lì come cuoco e mi sono occupato a rotazione di tutto, dagli antipasti, ai primi, dai secondi ai dolci. Ho imparato moltissime cose sia sulla cucina che su come funziona un ristorante. Era davvero tutto curato nel dettaglio, con ingredienti sempre a Km 0 e prodotti della zona. Dopo Bologna, ho deciso di andare in Puglia in un albergo 4 stelle che aveva un ristorante, La Fontanina Relais. Lì, complice la nonna dello chef, ho imparato a fare specialità pugliesi come orecchiette e strascinati. In seguito il livello si è alzato e sono andato da Moreno Cedroni ad Ancona. Da lui ho imparato tante cose nuove, come la cottura del pesce, le temperature, i tempi… All’inizio mi sembrava tutto molto strano, però dopo ho capito quanto sia importante creare un piatto bilanciato, bello. Dopo Ancona ho deciso di prendermi un po’ di tempo per girare l’Italia, non per lavorare. Sono stato a Napoli per cinque mesi, poi a Torino. Sono passato anche da Firenze.
Hai contatti/amicizie con la comunità giapponese a Milano? Sì, poche ma ci sono. La mia hair stylist, un amico designer e un altro che lavora come impiegato presso un’importante azienda giapponese. Siccome mi piace mangiare la cucina giapponese, che mi manca abbastanza da quando sono in Italia, vado spesso nei ristoranti giapponesi. E così ho fatto amicizia con vari ristoratori.
I tuoi posti del cuore a Milano... C’è una gelateria a conduzione familiare che si chiama Rita in via Solferino. Fanno un gelato buonissimo, fresco e fatto proprio da loro. E in più sono molto simpatici. Poi, fra i ristoranti di cucina giapponese dove vado spesso, c’è Sumire, in via Varese. Altri luoghi in città dove amo andare sono il parco Sempione e il parco Indro Montanelli. Trovo molto rilassante andare al parco. Non pensavo di trovare così tanto verde in una città come Milano.
E quelli in Giappone... Sicuramente Osaka, dove sono nato, perché è una città come Napoli, se volessimo fare un parallelo: la gente è molto aperta, c’è casino, i cibi sono molto buoni e anche economici. La gente è molto divertente e allegra. Poi Kobe, dove sono stato per 3/4 anni. Ho molti amici lì, per me è come se fosse la mia seconda città natale. E il manzo di Kobe mi piace tantissimo! E ancora, Tokyo e Kyoto. Se dovessi pensare a dei luoghi del cuore in queste quattro città direi che per quanto riguarda Tokyo le discoteche (ride). Non sono un tipo da discoteca, però quando avevo 22 anni sono andato per la prima volta nella mia vita in discoteca con i miei colleghi. Non ci volevo andare ma i miei colleghi mi ci hanno trascinato e dopo quella volta ci sono andato tutte le sere. Tokyo ha discoteche fantastiche, la musica, le luci: è tutto bellissimo. Di Kyoto invece mi piace molto il mercato perché le verdure lì sono molto buone, si possono mangiare semplicemente sotto aceto o sotto sale. Poi la città è rimasta molto tradizionale, le case… Kyoto da visitare è molto bella. Di Osaka invece mi piace il centro perché ci sono tante cose, negozi, ristoranti, karaoke, c’è un sacco di gente che si diverte... Quando non hai niente da fare vai a Osaka e trovi qualsiasi cosa che voglia fare!
Il tuo piatto preferito e quello che preferisci cucinare (sia giapponese che italiano)? Il mio piatto preferito italiano sono le tagliatelle alla bolognese … La prima volta che le ho mangiate a Bologna ho pensato che fossero la cosa più buona del mondo, mi hanno colpito tantissimo. Invece sono indeciso sul piatto giapponese. È difficile perché in Italia si mangiano solo certi piatti giapponesi, come tempura, sashimi, sushi, che in realtà costituiscono il 20% dei piatti tradizionali giapponesi. Mi piace ovviamente il sushi, ma anche il ramen, il tendon (una ciotola di riso con tempura e uovo cotto). Mi piacciono anche lo yakiniku e lo okonomiyaki (piatto della tradizione di Osaka, una specie di frittata simile nella forma alla pizza). Per quanto riguarda il piatto italiano che preferisco cucinare devo dire che piace cucinare tutto: do la stessa importanza a tutti i piatti. Se proprio devo sceglierne uno, forse perché attualmente lavoro al ristorante del pesce di Eataly, mi piace cucinare i piatti di pesce. Mentre i piatti giapponesi che preferisco preparare sono il riso al curry, lo okonomiyaki e il sushi.
Le tue passioni e interessi nel tempo libero... Nel tempo libero mi piace guardare video e fare ricerche su Youtube perché a casa non ho la televisione (ride). Ad esempio mi piace la break dance e allora guardo i video su Youtube. E ancora ascolto musica, seguo l’hip hop, i video di Michael Jackson, cose così... uso Youtube anche per lo studio della lingua italiana… Faccio tutto su Youtube! Mi piace anche stare con gli amici, e condividere con loro l’esperienza del mangiare bene andando in diversi ristoranti, ma al tempo stesso amo anche prendermi i miei spazi e rilassarmi da solo a casa. Mi piace inoltre anche il nuoto, per questo appena ho un po’ di tempo vado in piscina a farmi delle belle nuotate!
Raccontaci del progetto «Le ricette di Eataly», nato dalla collaborazione tra il Corriere della Sera e La Gazzetta dello Sport con Eataly, e che ti vede fra gli chef coinvolti... È un progetto molto bello perché sono tanti gli chef che hanno collaborato e hanno ideato le ricette. Ognuno di loro ha messo il suo tocco personale e la sua esperienza. È molto bello anche come si presenta: sono venti volumi che escono settimanalmente ogni martedì in edicola con il Corriere della Sera o la Gazzetta dello Sport. Ogni volume è tematico, ad esempio il primo volume è dedicato alle verdure primavera-estate, poi ci saranno volumi dedicati ai formaggi, al pesce, alla carne. Non sono dei semplici ricettari, ma vi si trovano anche approfondimenti relativi alle materie prime e agli alimenti. Per quanto riguarda la mia parte, ho ideato una ricetta per ogni volume, in totale venti ricette, basate sul concetto di fusion tra la cucina italiana e quella giapponese.
È stato molto difficile e faticoso creare una ricetta per ogni tema. L’ho fatto in tanti modi, o applicando la tecnica giapponese a ingredienti italiani, oppure usando una ricetta italiana ma con ingredienti giapponesi. O ancora, il piatto all’apparenza sembra italiano ma in realtà all’assaggio i sapori sono quelli della cucina giapponese. Ho provato diverse combinazioni e in più, consapevole del fatto che questi libri sono per chi deve provare a replicare la ricetta a casa e godersi il piatto, ho pensato anche ai gusti che potevano piacere agli italiani e a come combinarli con gusti giapponesi. Anche gli ingredienti sono stati scelti in modo che non sia troppo difficile reperirli. Per esempio, per semplificare invece di usare il mirin, che è il sake dolce utilizzato in Giappone, uso miele italiano. Da gennaio, mese in cui il progetto ha iniziato a prendere vita, ho pensato tutti i giorni, quasi senza dormire, a quali ricette creare. Si tratta di un progetto importante per me, sono le mie ricette e credo alla fine di essere riuscito bene nell’intento. Spero che chi le leggerà le trovi interessanti e abbia voglia di provare a rifarle a casa.
I tuoi progetti futuri? Sono un tipo che fa del suo meglio nell’immediato. Non penso spesso al futuro. A 25 anni volevo avere un mio ristorante e sognavo molto. Ora lo stare in Italia mi fa stare bene, mi fa fare del mio meglio e pensare giorno per giorno. Non ti so quindi dire i miei progetti futuri (ride). So solo che quello che desidero ora, e nel prossimo futuro, è trasmettere i miei sentimenti, a quante più persone possibili, attraverso i miei piatti.
Per concludere, hai una ricetta semplice e veloce da suggerire ai nostri lettori? Sì, il pesce alla griglia alla teriyaki. Si cuoce sulla griglia il pesce (può essere salmone, branzino, orata, ricciola). Nel mentre si prepara una salsa miscelando miele, salsa di soia e un goccio d’acqua da cuocere fino a farla caramellare. Una volta unita la salsa al pesce, si può servire con un po’ di insalata e ci sta molto bene anche la maionese. È un piatto semplice e molto buono. Accompagnato a un riso in bianco per me è perfetto.
Di Edoardo Miotti
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Feltrinelli Gribaudo - Euro 12.90 - Pagine 160
Tra i tanti, c'è anche il contributo di Giappone in Italia!
“L’arte del Sushi”, ovvero un viaggio gastroculturale, alla scoperta del valore e del significato che si cela dietro al piatto simbolo della cucina giapponese e al suo mondo, il sushi è uno dei piatti più gustati al mondo eppure tra quelli meno conosciuti. Ad accompagnarci in questo percorso, le penne di esperti che attraverso brevi ma prestigiosi saggi sulla storia, la geografia, l’economia, il cinema e la letteratura, nonché interviste e testimonianze, ci aiutano a comprendere e conoscere meglio i segreti di un piatto semplice solo all’apparenza, che è stato capace di sedurre il mondo. Il volume, che si apre con la prefazione di Allan Bay, raccoglie i saggi di Pio D’Emilia, Miciyo Yamada, Niccolò Geri, Davide Oltolini, Stefano Carrer, Associazione Culturale Giappone in Italia, Paola Scrolavezza, Graziana Canova Tura oltre all’intervista a Minoru “Shiro” Hirazawa di Stefania Viti, giornalista esperta di società e cultura giapponese e curatrice del volume. Il volume si rivolge agli appassionati della cucina in generale ma anche a tutti coloro che desiderano avvicinarsi alle culture orientali: grazie alla sua forma snella ed eterogenea permette a chiunque lo avvicini di scegliere il proprio personale approccio di lettura. Corredano il volume schede di approfondimento su argomenti interessati ma ancora poco noti come l’ Umami il gusto dal nome giapponese ma che appartiene al mondo, e su Wakasa-nuri, l’antica tecnica della laccatura degli hashi, le bacchette per il cibo, tipica della città di Obama, prefettura di Fukui (Giappone). Incorniciano il testo una sezione di tavole tratte dall’ "Hokusai Manga", opera geniale dell’artista giapponese Katsushika Hokusai (1760-1849) e altre tratte dalla prima edizione italiana del manga "Edomae no Shun" (Hazard Edizioni), best seller giapponese sul sushi. Di particolare interesse, inoltre, la traduzione della Tavole Cronologiche sullo sviluppo del Washoku, la cucina tradizionale giapponese riconosciuta Patrimonio Intangibile dell’Umanità UNESCO nel dicembre 2013 e il ricco glossario finale. Il volume è l'edizione ampliata, aggiornata e illustrata del volume "Il Sushi", uscito nel 2013 nella collana Feltrinelli Real Cinema insieme al DVD "Jiro e l’arte del sushi", sempre curato da Stefania Viti. Stefania Viti presenterà il libro -in anteprima a Carloforte all’interno di Girotonno- Domenica 31 maggio alle ore 21. L’incontro, condotto da Ambra Pintore, giornalista di Videolina, e da Andy Luotto, si terrà all'interno di uno dei maggiori momenti di visibilità della manifestazione, ovvero il talk show sul palco allestito sul lungomare.
Stefania Viti, giornalista, laureata in Lingua e Letteratura Giapponese all’Università Ca’ Foscari di Venezia, ha vissuto in Giappone per circa dieci anni. Si occupa di Giappone contemporaneo e i suoi articoli sono pubblicati su testate nazionali e internazionali tra cui “Il Messaggero”, “D la Repubblica delle Donne”, “L’Espresso”, “Fashion”, “East”, “GQ Italia”. Ha lavorato come editor nella rivista giapponese “amarena”, ha scritto per “The Japan Times” e curato la rubrica di tendenze “+ 8 Racconti da Tokyo” per Repubblica Tv. Si occupa di progetti di comunicazione per grandi eventi, prevalentemente riguardanti il Giappone, come il Milano Manga Festival. È membro dell’AISTUGIA (Associazione Italiana per gli Studi Giapponesi). Per Feltrinelli ha curato il volume Il Sushi uscito nella collana Real Cinema insieme al DVD Jiro e l’arte del sushi, di cui questo volume è un’edizione ampliata, aggiornata e illustrata.
Ami dagli occhi color del mare di Valerio Sericano
Pubblichiamo con piacere la presentazione dell'e-book "Ami dagli occhi color del mare" (Edizioni Esordienti) a cura dell'autore Valerio Sericano. Buona lettura!
Ami dagli Occhi Color del Mare
Una storia d'amore che narra dell'incontro fra mondi lontani, sullo sfondo del dramma giapponese dell'11 marzo 2011
Che cosa può unire l'Argentina del primo novecento con la Genova di oggi e il Giappone contemporaneo? Un filo rosso che racconta storie di vita, d'amore e di lontananza, narrate attraverso le emozioni di personaggi che non volteggiano in mondi eterei e surreali ma vivono nel pieno la realtà, colorandola a tinte forti con le proprie esperienze quotidiane.
L'editore ha incluso il romanzo nella collana “L'amore ai tempi del web” perché la storia principale narra dell'incontro quasi casuale su un social network di uno studente universitario italiano con una coetanea giapponese. Un incontro che porterà il protagonista a sognare una storia d'amore “esotica” e fuori dal mondo reale. Quando il giovane sarà chiamato a vivere sul serio quella storia, incontrando nel mondo reale la sua fidanzatina telematica dopo essere volato a Tokyo e poi a Sendai, scoprirà un mondo che inizialmente non capirà per nulla, ma del quale s'innamorerà inesorabilmente attraverso esperienze ingenue e un po' naif. I due giovani protagonisti vivranno una magica storia d'amore fino a che l'onda nera dell'11 marzo 2011 non travolgerà tutto quanto. Da quel giorno per loro nulla sarà più come prima e si troveranno a vivere non più il loro sogno fatato, ma una realtà dura, che li costringerà a compiere delle scelte dolorose.
Il giovane protagonista italiano smetterà fatalmente di sognare, ma nel ricordo dell'antica storia d'amore vissuta cento anni prima da un proprio avo in Argentina, sarà il sogno a compiere il viaggio inverso andando a bussare alla sua porta...
Il romanzo offre diverse chiavi di lettura, ma su tutte prevale il tema dei rapporti a distanza e dell'incontro fra culture diverse e lontane. Vivendo un amore per mezzo di lettere che attraversano gli oceani come accadeva cento anni fa, oppure chiacchierando davanti ad una webcam come è possibile fare oggi, poco cambia quando i protagonisti sono fisicamente separati da migliaia di chilometri di distanza. Di fronte alla voglia di due innamorati di sfiorarsi, toccarsi e baciarsi, anche la tecnologia più progredita è costretta fatalmente ad arrendersi
L'autore: Valerio Sericano è al suo secondo romanzo. Pur non trascurando gli excursus storici, il suo ambito spazia dal filone romantico sentimentale al mondo fantasy. Laureato in storia, nutre una grande passione per lo studio delle culture orientali e di tutto quanto appartiene in particolare al mondo del Sol Levante.
Formato: Formato Kindle
Dimensioni file: 1987 KB
Lunghezza stampa: 219
Editore: Edizioni Esordienti E-book (5 maggio 2015)
Disponibile su: Amazon.it
Lingua: Italiano
Prezzo: Euro 4,99
Link: http://www.amazon.it/dagli-occhi-color-Lamore-tempi-ebook/dp/B00X6NK9UO/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1431075399&sr=8-1&keywords=ami+dagli+occhi+color+del+mare
Le coloratissime carpe del kodomo no hi
Il 5 maggio in Giappone si festeggia il kodomo no hi, la festa dei bambini! I koinobori sono l'usanza più significativa e gioiosa di questa festa nazionale: sono delle enormi carpe di carta o di stoffa dipinte a colori vivaci, che ondeggiano come nuotassero nell'aria. Questi pennoni, che prendono il nome da koi che significa appunto "carpa", condensano tutte le valenze simboliche della festa, celebrata come un augurio di energia fisica e spirituale, oltre che di crescita e successo sociale. Ogni famiglia che vanti uno o più figli maschi, per l'occasione segnala orgogliosamente al mondo la propria ricchezza issando sul tetto, per mezzo di corde, in cima a una lunga asta di bambù, tante carpe quanti sono i bambini in casa.